NHKラジオ「ラジオ深夜便 ないとエッセー」徳永美佳講話 抜粋


NHKラジオ「ラジオ深夜便 ないとエッセー」徳永美佳講話

【出演前の打ち合わせ】

「ラジオ深夜便」はNHKラジオの中でも人気の番組で、ディレクターさんより以下の説明がありました。

「ラジオ深夜便のリスナーは様々な方がいらっしゃって皆それぞれの環境でこのラジオを聞いてくれています。ドライバーさんが仕事帰りに車の中で聞く。朝早い出社で一日の始まりに聞く。それぞれの立場をイメージしながらお話してください。』
【想定されるラジオ深夜便の様々なリスナー】
・夜眠りにつこうとしている方
・なかなか寝付けないので困っている方
・早朝に仕事がスタートで起きたばかりの方。
・深夜まで仕事でようやく岐路に向かう方。

これらの皆様にお届けするとなると声のトーンなど統一するのは難しいです。それを考えて番組を勧めるアナウンサーさんはさすがプロフェッショナルです。日々何気なく聞いているラジオやTVのアナウンサーの皆様の準備や努力は並大抵のことではないのでしょう。

私が出来ることは、今までANAのCA時代にしてきた経験、講師として様々な企業や様々な受講者と接してきた経験を少しでも丁寧に分かりやすく、何か聞いてる方のお役に立てるようにお話しするしかないと考えました。

【ラジオトーク依頼内容】

このころFINESTの研修では日本で働く外国人の方の日本のマナーのご受講が増えてきたころです。弊社から海外(ベトナム)へ出張して日本のマナーをご指導することもありました。

今回の「ラジオ深夜便 ないとエッセー」では、日本のマナーがなぜ海外から支持されるのかを、元CA(キャビンアテンダント)のおもてなし目線や、研修の中での受講者の発言や様子から感じ取れる日本と諸外国との違いなどを紹介して欲しいとのことでした。

4夜連続で各回10分のトークは、原稿用紙で30枚、12000字にもなりました。お聞きいただきました皆様とご縁をいただきましたNHKラジオの皆様に感謝いたします。

【日本人とおもてなしの心】

第一夜:おもてなしと日本人の働き方

・おもてなしを目の前で見せてくれという韓国企業


日本のおもてなしの研修を是非受けたい、と韓国の企業様が朝一番に弊社にいらっしゃいました。その日はその後に数社訪問の予定とのこと。
「日本のおもてなしを見せてくれ」
「机の上に置いて今ここで見せて欲しい」
とご希望でした。私は
「机の上に置いて見せるものではなく、さりげなく、何気なくすることです」
「これです!とアピールする時点ですでにおもてなしではなくなります。なぜならば、おもてなしは心に中にあるものですから」
と説明しましたが伝わらないようでした。
「いやいや見えるはずだ!ここにボンっと出してくれ」
と依然として机の上に形のあるおもてなしを見せてくれることを期待している様子でしたがそのまま次の会社に向かわれました。

「おもてなし」と言う言葉が2020年の東京オリンピック招致のキャッチコピーになってから国際的になり、こんな風にモノだと考えている外国人の方々もいらっしゃるんだと驚きました。
ある外国人の方は
「日本のおもてなしは超能力者がするものですか?」
とお聞きになり、言葉を発せずに目と目を見て、相手の顔色、表情、態度をみて対応できるのは、もはや日本人と超能力者しか出来ないスキルであると感心されていました。

・日本人と欧米人の自分の守備範囲の違い


野球の守備で考えるならば、日本ではどちらがボールを捕ると決めていなくても仲間の様子をみて自分が捕った方がいいと判断すればボールを捕る。

一方で外国人の場合それは無理な話で、自分の守備範囲が決まっているのでそこはしっかり守るが仲間の守備範囲には踏み込まない暗黙のルールがあります。たとえ捕らなくてヒットになったとしても、仲間の守備範囲に踏み込むことの方がいけない。自分の陣地で他人が成果を上げることは外国ではありえないことだそうです。

同様に、ホテルのロビーにごみが落ちていたとします。それをポーターやフロントスタッフが気が付いても、そのごみを拾うことはしません。なぜならばそのごみは清掃スタッフのものであり、それをやってしまうと彼らの職を奪いかねないからです。個人の業務を侵害しないという考え方は日本人にはない考え方だと感じます。グローバルに活躍されている日本人の方には心当たりがある話ではないでしょうか。

・日本人流の仕事、日本人のマナーとは


実際の職場内でも聞かれます。日本にはジョブディスクリプション(職務指示書)というものがないので、明確な仕事に関する指示が無く外国人の方は戸惑われます。
「昨日と同じようにやっておいて」
というように上司の指示も曖昧で分かりにくく、意味が分からない。
でも日本人スタッフはそんな指示でも上司の要望に外れていないので驚かされるそうです。
この事例は、外国では個人の成果を出して、それに対して評価されその対価を約束通りに受け取る。それに対して日本では個人ではなく、チームで成果を上げることを求められます。そしてその対価は勤続年数という積み重ねによって支払われるのことが多いのがこの行動化の原因でしょう。

日本ではチームで指導する風土、文化があり先輩から後輩へ細やかな指導をして育てていきます。さりげなく、何気なくという日本のおもてなしはこのようにチームで事を成し遂げることから培われてきたのだと感じます。
「昨日のように」と言われればそれはなにかと全身全霊で五感をフル回転させて探し出す能力。野球であれば、仲間がボールを捕れないとわかれば相手のボールまでも取りに行く協力意識。このような察する能力が外国人にとって不思議でもあり驚きの超能力に思えるのでしょう。

・不在の人の電話を取る日本人

面白いのは、机にいない人の電話がなった時すぐにとって
「美佳はいません」
と、応えないといけないと言われ、納得できないと言っていたことです。日本人であれば一秒でも早くでて、美佳はいません、と伝えてあげたいと思うでしょう。しかし、彼らは
「出なければその人がいないことがわかるのに、相手の電話代を使ってまで、いないと伝えることに意味があるのか。いないことには変わりはないじゃないか。」
と言います。

ある意味確かに無駄なことのように感じますが、皆さんはどのように考えられますか。

 

第二夜:日本人のマナーの良い点、足りない点

 

・日本人のマナーの素晴らしい点

日本のおもてなしマナー研修を受講して下さった外国人の方々からアンケートや直接話を伺ったなかからよく耳にする話です。日本は犯罪も少なく人も親切。落とし物がそのまま返ってくる、特にお財布も現金がそのまま入って戻ってくることに驚くようです。
客室乗務員時代に先輩から指導してもらったことは、常に五感を働かせてお客様に接する事でした。機内にお弁当を持ち込んだ方をみつければ、上空ですぐに頼まれなくてもおしぼりと日本茶をお持ちする。御着物をお召しの方がいれば、帯の後ろに毛布をお入れする。到着間際に時計を見ている人がいれば、到着地からの交通機関をお調べする。

ファーストクラス、ビジネスクラスでは、お客様のサービス情報は次便へと引き継がれます。「○○様は、ウィスキーを差し上げる際マドラーを3回かきまぜたら下げるように言われた。」と引継ぎがあれば、お飲み物をお出しして、陰から3回かきまぜたのを確認し、マドラーを下げに行く。「毛布をおかけしなおしたら、かけなおさなくて良いと言われた」と引き継ぎがあれば、次便で毛布がずり落ちていてもおかけせずに畳んで横にお置きする。機内では全神経を集中してサービスに当たっておりました。

・日本人のマナーに足りない点

一方で、研修後のアンケートには日本人の良くない、足りない点も挙げられています。日本人はプレッシャーに弱い。プレッシャーに押しつぶされそうになると、時に無礼になる。ルールを超えた応用力、柔軟性がない。など、何か枠を超えようとした時に、大きなプレッシャーとなり、処理能力が低くなるとみられているようです。それは、こんな意見にも表れていて、公衆の前、公然では人を助けない、というものでした。何かをしてしまうと恥をかくと思っているからではないかとも書いていました。

また客室乗務員時代の話になりますが、ニューヨークステイ中に後輩が交通事故にあったことがありました。夕食を終え、ホテルの前でタクシーを降りて横断歩道でない道を横切っていった後輩は、走ってきた車にはねられ大きく宙を舞い、道路にたたきつけられました。それは人形が飛んでいるような錯覚を覚えるほど、高く飛んでいたのを覚えています。駆けつけると頭から血を流し、意識があるかないか、もしかしたら息がないかもと思えるほど、ピクリとも動きませんでした。
するとニューヨークの人々はすぐに救急車を呼んでくれて、どうしていいかただただ泣きじゃくる私を、ふくよかなと包容力のある女性が、「She is OK」と言って私を抱きしめてくれていました。
この見知らぬ人の温かさはなんだろうと思っていると、今度は別の男性が、道に倒れてる後輩を救急車が来るまで、彼女をまたいで仁王立ちになって、体を張って守ってくれていました。このような事故が起こったときに、体を張って見知らぬ人を助けてくれる日本人がいるだろうかと考えた瞬間でした。

日本人は、集団の中で自分の役割を瞬時に判断する能力に長けていると思います。ですので、誰もいなければ、自分が出てもいいし、でも誰かがやるなら控えた方がいいしと、自分のポジションを探します。公共の場で何か助けが必要な時にも、周囲の様子を伺っているうちに外国人の方が助けてくれるといったような場面も多いのかもしれません。

日本人のおもてなし力


弊社での研修を終えると、日本人はきっちりやりすぎ、堅苦しい、丁寧すぎる、そんな風にできないよ~というお声が多数です。
「みなさんは日本で受けるサービスは心地良いんですよね?」と聞くと「とても素晴らしい」という。
どうやら、日本のおもてなしサービスを自分が受けるのは快適だが、これを自分が相手にしてあげるとなると面倒だと考えている人が多いようにも思います。そうなると、これは、日本人にしかできない世界に誇れる技・匠ともいえるのではないでしょうか。他国の人には真似できない日本のおもてなしであるからこそ、価値があり、だからこそ、私は、日本のおもてなしマナーも世界に輸出できるのではと考えました。かつて日本の製造業が世界に輸出され称賛されたように、形の見えないおもてなしも、きっと世界中で称賛されると信じています。

中国企業様との出来事ですが、
「日本人はなぜどんな時もどんな人でも同じ質で仕事が出来るのか」
と聞かれました。逆に違うのかと尋ねると
「気分によって変わることもある。朝家族と喧嘩をしてきたら許可するものも許可しないこともある」
「電車に乗って見ていると、ホームで駅員さんは、誰も見ていなくてもいつも指差し確認をしている。中国だったら、誰も見ていなかったらそんなことはしないよ。日本人は凄い!」
とおっしゃっていました。日本の当たり前が世界で称賛された一例でした。

おもてなしは「もてなす」こと。物でもてなす場合も、その物をお相手仕様に合わせてもてなす気持ちが必要です。サービスとホスピタリティは違うのだとあるレストランの社長から教えて頂きました。サービスは to you、おもてなしホスピタリティは for  you 。toという相手への向きだけではなく、forという相手の為にという気持ち。For youのおもてなしは日本人の心に培われた文化として誇れるものだと思います。

第三夜:日本人の思考の変化

・何事も土台(ビジネスマナー)が大切である


戦後、日本では、個性を大切にする教育が取り入れられてきました。個性を殺してはいけない。Only youを見つけよう。そう言われて個性を大切にしてきた結果、今では「自由」という言葉に履き違えられているように感じます。個性を活かすのは、とても素敵なことです。生きがいにも通じます。ただそのために、自由でいいんですか?ルールがなくてよいのですか?ということです。

私は、「個性というものは、基本やルールという土台の上にあってこそ輝く」と考えます。以前元テニスプレーヤーの松岡修造さんの講演で大変共感したことがあります。
現在世界ランキング4位の錦織選手の大活躍で、最近はいきなりジャンピングショットの「エアケイ」をやらせてくれというお子さんや親御さんが多いとのこと。自分は脚力があります。体力があります。足が速いです。そんなすばらしい個性を持っていても、テニスの基本が出来ていなければ、エアケイを学んでも意味がない。
ラリーが続いてこそ、チャンスボールを待ってエアケイの出番がある。基本という土台があるから個性を活かすチャンスがある、ということでした。

マナーも同じで、マナーなんて堅苦しいものはいらない。自分には輝く個性があるのだから。そういってマイルールで自由に社会を渡り歩く方もいます。
個性は、何もイレギュラーがない時には輝き続けるかもしれません。しかし、基本という土台がないものの上にある個性は、少し風が吹いただけで揺らいで倒れます。少し注意を受けただけで心を病みます。少し指摘されただけでふてくされてしまいます。
ほめて育てろと言われてきて、叱られずにここまできた彼らは、自分だけのオンリーワンの輝く部分だけを見てきて、社会で初めて出来ていない部分を指摘され、叱られるという場面に出くわします。そして、予想以上にもろく、立ち上がることさえ出来なくなっているのが現状です。

・今どきのスマートな新入社員

最近の新入社員などの若者を見て感じるのは、彼らはとてもスマートです。知識は豊富で立派な発言は得意だったりします。知識という鎧をしっかり身にまとっているのですが、経験という実践が少ないので、鎧の内側がもろく、心を痛めて次の日から会社に来られなくなったりする方も時にはいます。
研修で猫背になっているよ!と伝えただけで、もうこちらを見ない若者がいました。最初彼はとても良い笑顔が出ていました。そのような笑顔をすれば、喜ばれることを本を読んで知っています。でも注意を受けたり否定されるという経験がなかったので、どう対応して良いのかわからないのです。

また、教えられていないことはできない、こんな若者が増えた気がします。昔は1教えると10を知る。1の教えをよく咀嚼して、場面場面で10通りに応用できる。それが今は1以外が起こった時に対応出来ない。
お茶は右から出しましょうと教えると、右に物が置いてありましたと、お茶をお出しせずに帰ってきます。右にものが置いてある状況は教わっていないから出来ませんでしたと堂々といいます。
常に教えてもらう待ちの体制が多いのが最近の日本の若者のように感じます。

・ベトナムでの研修~学ぶことに喜びを感じる~


ベトナムで研修をしてきた時、ベトナムの若者の目の輝きに驚かされました。ベトナ
ム国民の平均年齢は28歳だそうです。彼らは、学ぶことに喜びを感じ、成長に喜びを感じていました。彼らが小さい頃学校にプールがなかったので、多くの大人は泳げないそうです。プールで泳げること、英語教育があること、子供たちは今までなかったものを得られた喜びに満ちています。日本人の子供にこの目の輝きがあるかと不安になることがあります。
日本には全てがありすぎて、あることが当たり前すぎて、貪欲に何かを求める気持ちが薄らいできたようにも思います。

私は岩手の出身ですが、先日岩手の学校法人の方とお話しする機会がありました。その学校ではベトナム人留学生を受け入れています。彼らは岩手で、シェアハウスで暮らし、東大や国立大の医学部に何人も合格していくのだそうです。日本の若者は、是非このアジアの若者と触れ合い、刺激を受けて欲しいと思います。勉強できることに感謝、与えられたチャンスに感謝。そんな気持ちを持っている外国の若者に負けない強い気持ちを持ってほしいと思います。

日本の子供たちの環境


私にも中学生の娘と息子がおりますが、ゲームの時間制限、スマホ、ラインの禁止など
我が家なりの特別ルールを設けております。しかし、よく息子には「うちは古臭いんだよ」と言われます。古臭いことの中に、大切なことが埋もれているのにと伝えますが、欲しいものがすぐ手に入り、ラインで自由な時間に、自由に連絡がとれ、準備不足でもすぐにネットで調べられると思い、いつも簡単に手に入る何かに頼っている。それは今の便利な社会が生み出した日本の子供たちの姿なのだと思います。そして彼らは、社会人になってから初めて行動に規制を受けるのです。

海外では、タイムアウトシートと言って、幼稚園の時代から悪いことをすると自分で何故叱られているのか理由を考える特別席があるそうです。その特別席は教室の隅にあり、友達も話しかけたら叱られます。反省し、理由を言えた時に初めて自分のシートに戻れる。自分で考え責任を取らせる習慣を、小さいころから与えらえているそうです。これが日本に合っているかどうか、日本に馴染むかどうかは分かりませんが、少なくとも自分で責任を取るという面では、日本より子供たちの思考の自立は、早いかもしれません。

我々世代がきちんと子供たちに大切なことを引き継いでいかないと、日本のおもてなしが称賛される時代も終わってしまわないか不安になることがあります。

・情けは人の為ならず


実は日本の航空会社でも、客室乗務員の指導に苦労していると伺いました。お客様の
コートをお預かりする際、他のお客様と重ねてお持ちした時に、「他のコートと重ねて持たないで」と言われ、舌打ちしてしまった客室乗務員がいて大クレームになったそうです。おそらくこの客室乗務員は、これまで自分の行為を否定されることなく、自由に生きてきて、初めて他から否定されたときに、不快感を表してしまったのでしょう。「情けは、人の為ならず」の心を教えてもらっていれば、こんなことにはならなかったかもしれません。

 この「情けは、人の為ならず」と言う諺の意味が最近は別な捉え方をされておりまして、文化庁が平成22年度に「国語に関する世論調査」の中で、発表しました。本来の意味とされる「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」で使う人とほぼ同じパーセンテージで、違う意味の「人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない」と使う人がいるとのことです。
正しい解釈の、人に親切にすれば必ずよい報いがあるというのは、決して見返りを求めるために人に良いことをするということではなく、人にいいことをすると、いつか有難い形で返ってくるということ。それは情けをかけた人からというだけではなく、廻り廻って思わぬ人から、思わぬ形で返ってくることもあります。

少子化は子供たちを大切に育てる方向に向いてしまっていますが、親として「情けは、人の為ならず」そんな気持ちを伝えていくことで、人に対しての「おもてなし」が日本で継承されていくのではないでしょうか。

第四夜:日本の文化

・古き良きマナー、幸せしぐさ


昔から相手を思いやるしぐさがあって、是非皆もその気持ちを受け継いで欲しいと、弊社の研修では「幸せしぐさ」を取り入れています。足を踏んでしまったら、お互い様ですよという気持ちで双方が謝ったり、電車の席に余裕を持って座っていたら、もう一人座れるスペースを作るように、こぶし一つ分腰を浮かせてずれるだとか、道路上で傘と傘ですれ違う時にお互いの体に水滴がこぼれないように外向きに傘を傾けてすれ違うといった相手を思いやるしぐさです。

商人が経済を活性化させた江戸時代には、人口密度は当時世界一とも言われ、おそらく狭い中で周囲と円滑なコミュニケーションを図って暮らして行くために、様々な生活の工夫をしてきたことだと思います。「六感しぐさ」と言ってこの3日間で五感を働かせるという話をたくさんしてまいりましたが、「五感」だけではなく、第六感を使って何事も敏感に察知できるよう感覚を鍛えらていたと言います。
でも実はこれらの幸せしぐさの内容は、私世代の人間は、親や近所のおじさんおばさんから口うるさく指導されてきたもので、当り前すぎて、取り立てて言う必要があるのかとさえ思えるものです。今は、これを伝えていく人や場所がいないと引き継がれないのかもれません。

こんなことがありました。
ある時、中国人の研修で、狭い通路や路地で前方から来た人とすれ違う時、お互いに右肩を引いて体を斜めにしてすれ違うしぐさを実際にやってみせて説明しました。するとその中国人の受講者から、
「日本人ってガンガンぶつかってくるけど、肩引きしてないよね!」
と言われました。
「それは本当ですか!大変失礼いたしました。申し訳ありません。指導が行き届いておりませんでした。」
と伝えると、出てくる出てくる日本人の出来ていない点。
これは中国以外の方々からも言われることですが、
「なぜ日本人は電車で妊婦さんやお年寄りに席を譲らないのはなぜでずか?中国は弱いものを大切にします。だからすぐに妊婦さんやお年寄りには席を譲るのに。日本人は知らん顔ですね。寝たふりもみます。」
「腰が曲がったおばあちゃんが重そうな荷物を持っていて、その横を素通りする若者がいました。私は彼にどうしてあのおばあちゃんの荷物を持たないのかと聞くと、「そんな教えはされていない」と答えた」とのこと。

・これからの日本のマナー

ウィリアム王子に寄贈した徳永直筆の書


今自分がしている日本のおもてなしマナーを世界に発信というのが、過去の称賛物にならないように、日本と海外との両輪で進めていかなければならないと感じます。

彼らは知らなかっただけで、知れば実践できる。この日本の若者の素直で正直な部分も美徳であると思います。

日本人は正直だと言われます。中国の事例ですが、ある学校と一緒に専門学校を運営しよかというお話がでまして、入学試験の話で大変驚かされました。中国は、募集要項に、男女の性別、身長、年齢制限など記載して良いそうですが、実際入試をすると、日本語能力検定N1という1級レベルと記載してあるのに、「こんにちは」しか言えなかったり、20代と書いてあるのに、明らかに、40代でしょ!という方が平気で来たり、ひどい時には、女性と言ってるのに男性が来たりするそうです。日本ではそんな心配がなく入試ができることが、当たり前と思っておりましたが、正直であることは自慢できることであると実感した例でした。

・書道家 徳永美佳(雅号:青玲)としての活動から


私は、書道家でもありまして、日本の文化を書道で海外の方に発信しております。
外国人の方のお名前を漢字に換える作品は、日本の添乗員さんなどが外国のお客様へのプレゼントで差し上げたり、お土産、誕生日のお祝いなどにご利用いただき喜んでいただいております。

例えば、ジョナサンという方でしたら、ジョナサンのジョは、情があるのジョ。ジョナサンのナは納得のナ、ジョナサンのサンは称賛のサン。情が厚く納得の人生で皆から称賛を得る。という意味でおかきしました。後から、この書を差し上げた方は、元先生でいらして、自分の人生はまさしくそういう人生だったと喜んでいらしたと伺いました。特に海外の方は自分のお名前がおじいさんのお名前だったり先祖代々継承されているお名前が多く、このように漢字にすることで自分の名前に意味が出来たと喜んでいただいております。

実はこの度ウィリアム王子の来日の際に、イギリス大使館の晩さん会である方を通じて私の書をウィリアム王子にお渡しする事が出来ました。
お書きしたのは、ウィリアム王子のウィは初めてのウィ、ウィリアムのリは理性のリ、ウィリアムのアムは編み込むのアム。いつも初めて臨む新鮮な気持ちを忘れず、理性をもった筋道で縦糸と横糸を編み込んでいく。
またキャサリン妃も書かせていただき、キャサリンのキャはお客様のキャ、キャサリンのサは彩(サイ、いろどり)のサ、キャサリンのリンは輪(車輪)のリン。お客様に対しておもてなしの心で彩を与え周囲に輪を広げていく。という意味をこめて書きました。

受け取っていただいただけでも奇跡的なことですのに、なんと先日、バッキンガム宮殿からエアメールがあり、ウィリアム王子の秘書の方からお二人からのお気持ちですと、お礼状を頂戴しました。本当にありがたいことと大変感激しております。日本の文化をイギリス王室に何かしらの形でご紹介できたことを、日本の文化が受け入れられたことを、光栄に思います。このようなご縁を繋いでいただいたことにも感謝ですし、これが昨日お話した、「情けは、人の為ならず」ということだと感じます。おもてなしというのは、一方向ではなく相手側からも嬉しい気持ちがかえってきます。今回の事例は日本人でなくとも通じることだと思いました。

・日本のおもてなしのまとめ


日本の文化やおもてなしは間違いなく海外で喜んでいただけるものです。東京五輪までに危うい部分あれば、強化していかなければと思います。また、日本の良さだけを押し付けるのではなく、日本人外国人双方がお互いを尊敬し合えるような国際交流が出来るように、これからも幅広く様々な国の方々と触れ合って認め合い、刺激し合っていきたいと思います。

どうぞ皆様も外国人の方に自信を持って日本の良さをアピールしてみてください。日本がおもてなしで活気とやさしさに溢れる国になるよう、今後も頑張ります。